釣崎清隆展
『Days of the Dead OSAKA』
2019年7月6日(土)~7月26日(金)
開場19:00~23:30  Entrance free(1D別途)

  開催日 : 水、木、金、土
定休日 : 日、月、火
場所:大阪ToraryNAND 地図

Opening party
7.6 (sat) Open/Start19:00
DJ 藤本修羅 FLUX FULLMATIC 38chaos
Closing party
7.26(fri) Open/Start19:00
DJ ミー坊 J3R NIGHT$IN aka 時益師夜 テンパる子


  
プロフィール
釣崎清隆(つりさききよたか)写真家・映画監督・文筆家。
昭和41年年富山県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。
学生時代から自主映画制作、文筆活動に従事し、AV監督を経て平成6年から写真家として活動開始。ヒトの死体を被写体にタイ、コロンビア、メキシコ、ロシア、パレスチナなど世界各国の無法地帯、紛争地域を取材してきた。 釣崎清隆 twitter
Statement for Days of the Dead OSAKA
私は死の無謬性を唱導して歩く宗教請負人でも哲学者でもない。かといって不道徳や悪趣味の商人でも殺し屋のたぐいでもない。 私は例えばネットメディアで敵の首を誇らしげに掲げるイスラムや中南米のテロリストに似ているかもしれない。表現者だ。 私は表現の自由にかけては原理主義者である。私は芸術に不可能はないと信じている。芸術のためなら何をしてもいいと思っている。表現というものはどんなに反社会的であろうと、たとえヒトを傷付けようとも、絶対に規制を受けてはならない。これは僕の信念であり祈りだ。 そんな私がジャーナリストであるはずがない。芸術家であって他の何物でもない。 私がなぜ死体を撮るのか? 愚問だ。 古今東西例外なくヒトが最も目にしたくない見たくないと考えるもの、それが死体である。それほどパワフルな究極の対象を撮らないで、写真家としていったい何を被写体に選ぶべきだというのか。現場における肉体、血と骨、そして内臓のフォルムは芸術家として挑む価値のあるテーマでありパラランゲージだ。 そんな死体がその存在の過剰と能力特性のため強力な破壊力を持ち得るのは確かだ。それはポストモダンの軍隊にとっての戦術核といえる。イスラム過激派の趣味は世界に地下枢軸を激震させて、地球の裏側のメキシコの麻薬組織にインスピレーションを与えた。 同時に死体はすでに体制や権力に利用されてきた事実がある。ロシアや中国では過激な死体映像が情報統制の道具として機能しており、蔓延したテレビニュースは政府にとって都合の悪い情報を覆い隠すのに十分すぎるほどショッキングで、国民の愚民化にすら加担させられている。 こんな破廉恥をしでかすのは米英仏といった西側の大国も全く同様である。例えばルーマニア革命を過剰な流血沙汰にしたティミショアラ事件では、米仏の情報機関が事件と全く関係のない死体をモルグからありったけかき集めて現場に転がし、大虐殺をあからさまに演出してメディアに報道させたからである。 そう、死というテーマは政治的であり得るのだ。私は重大な責任を感じている。 芸術家は世界中で激化する壮大で生臭い情報戦から自由であり得ると考える。現実的には逆であるが。ナイーヴな表現者は往々にして意に反して為政者から利用されたり大衆に担がれたりしてその本来の存在意義を捻じ曲げられてきた。 現代において表現の主戦場であるネット上では表現が不特定多数の誰にも開かれているため、情報を独占してきた既成マスメディアに比べて職業表現者の必要性が低く、また特定イメージに縛られる危険も分散され、だからこそ横断的な表現の場を手に入れた芸術家本人の一個の発言や意図がかえって重要性を持つことになる。 しかるに表現者にその自覚がなく、情緒的な情報弱者で甘んじ続けている。 また芸術家本人はかつてとは比較にならぬほど、政治的努力が必要になった。でなければ必ず政治権力に利用されることになる。政治から自由になるためにこそ、政治的努力が必要なのだ。リアリティの中に夢を見るためにだ。 権力というは戦術が圧倒的に巧緻だが、使用素材はしょせん下品なショック・メディアがせいぜいであり、その下品さを希求しさえする。下品のセンスにかけては誰もかなわない。 そんな体制や権力が世界の趨勢としてドラスティックな暴力表現の規制に動いているのだから笑わせる。威力ある危険物は独占したいと考えるのが体制であり権力というものだ。 肉体の果てに対面するものは真の恐怖である。 生が時限的であるように、肉欲に限界があるのは自明である。生きることが肉欲の連続とその追求であるとすれば、ヒトとして、死ぬという行為は生き恥をそそぐこと。 裸に罪はなく、どころかそれを隠蔽することこそが犯罪だ。 裸身が美しいからというだけでなく、芸術とは、わずかでも検閲されれば享受できなくなってしまうものなのである。しかし世界中の検閲当局は芸術を強姦し、切り裂き、あまたの作品をキズモノにして、いまだそうし続けている。 欲望の果てに対面するものは被食の恐怖だ。エロスとタナトスは互いに不可分であり、同一ですらある。私は死に可能な限り肉迫することこそが、美に殉ずる道だと信じている。 死の現場はあらん限りの究極を提供してくれる。私が追及しているのはただ一つ、究極の美だ。
◆文 釣崎清隆


【会場】   〒542-0074 大阪市中央区千日前2-3-9千日前二番街2F 237番
             レジャーシティ味園ビル2F「TORARY NAND」 

【アクセス】南海なんば駅より南海通り東へ180m 地図
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